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第1章 「日本で初の若人」

専門誌「茶と珈琲」金川正道著掲載記事

戦後日本人初のブラジルのコーヒー鑑別人

 金川正道氏(24歳・東京・金川珈琲K・K社長金川英一氏長男)はこのほどブラジル国コーヒー院(I・B・C)より、戦後日本人として初めて「コーヒー鑑別人」としての正式な資格を証明する免状を授けられた。
同氏は昨春よりおよそ二年間ブラジルに渡航、サンパウロを中心として.、各地のコーヒー栽培作業等にも実際に現地人の中に飛び込んで体験するなど、スケジュールの許すかぎり内外の中南米諸国をも旅行したという。
若い氏の目を通じて"何でも吸収してやろう"という意気込みが彼にとって密接な親しみを持つコーヒー国ブラジルの有意義な外国生活をもたらしたものと思われる。
この間、幸運にも外国人には許可されたことがないといわれるI・B・Cの「コーヒー鑑別人養成学校」へ入学するチャンスを得て権威あるブラジルコーヒーの品質検査官の技能をマスターし、現地人のクラスメートを凌ぐ成績で卒業。この免状を土産に意気揚々と去る5月に帰国した。
さっそく思い出のアルバムのページを繰りながら学園風景を語ってもらうことにした。

「ブラジルは現在7ヵ所の鑑別人養成所がありこれらはすべてブラジル政府の運営によるもので教材、授業料などが免除されています。入学に際しては健康診断その他かなり厳しいテストがあり、95名のクラスが編成された。

 授業内容は三つの科目に分けられ
 ・味覚テスト
 ・豆の品質・格付け
 ・実務計算

などの実習訓練が主体になっており、「味覚テスト」では25種類のコーヒーの味を舌で選別する訓練で、サンプルテーブル(生徒1人に1テーブル宛)上にあらかじめ用意されたコーヒーを飲んでは味の特徴を種類別の豆の名前と覚え込むのですが、これが朝と昼の毎日2回(彼の場合)。他の生徒は授業のある隔日。というのは言葉の不自由な点をカバーするためにと担当の先生が「ジヤポネ君は毎日出て来てやり給え」と進められたのでやりました。初めの1ヵ月間位はサンプルテーブル上にはそれぞれの種別と、味についての特徴が書き込まれていましたが、2ヵ月目からはそれが全部はずされてサンブルナンバーだけになり、所定の用紙に自分の判別を書き込んでゆくように変わりました。
豆の品質、格付けもやはり味覚判定訓練と同じ方法で行うのですが、AからZまでのサンプル・ケースに入った各300gのコーヒー種別見本を(これも最初の1ヵ月間位はサンプル・ネームが記されていたが後ははずされていて、それぞれのケースにはナンバーだけが付記されるようになった)判定用に準備された40×50㎝位の黒い紙の上にザーッと広げて、その判定サンプル中の夾雑物の多数に応じて格付けを下げてゆく欠点注出方により品質の格付けを行うのですが(夾雑物がこの場合300g中11個までを二級品とする)主な夾雑物には大中小の石、木片、コーヒー豆の皮、虫くい豆、青豆、割れ豆などがありました。

 入学後1ヵ月からは先生の差し出すサンプルを各自の判定用紙に広げた豆から夾雑物を手で選び出したり、数えるようなことは絶対させない厳しさでした。つまり、広げた豆の中には幾つ位の夾雑物が混入しているか一瞥して判定しそのコーヒー豆の等級を決定する必要があるからです。同じ様なテストが繰り返し受けている内にそれ程苦にしなくても大体判定できるようになりましたが、その内ジヤポネ・マサミチ(クラスメートは僕のことをこう呼んでくれた)は意外に良く出来る、どうしてだろうって事になった。彼は毎日学校へ来ているからだ、というので負けずに授業のない日も登校する生徒が増えた位でした。
実務計算のことですが、これはサンプル300gではどういう判定が出たか、例えばある倉庫の何トンのコーヒーがこのサンプルと同じ内容として、計算上どれだけのどんな夾雑物があるか、この豆の価格は幾ら位で売買できるだろうかなど主として貿易関係の実務計算やどういうタイプの(味など)註文にはどの豆とどの豆をどれだけ配合すれば希望の味になるかなどで有益な授業だったと思います。

 とにかく毎日の様にテストがあって、この三科目の各々の得点は卒業試験まで保存されて参考資料にされるという、気楽なムードの中にも厳しさがあり、6ヵ月間の養成機関最後の卒業試験はI・B・C本院からの試験官が居並ぶ中で緊張した受験風景がありましたが、結局無事卒業したのは95人中40人に過ぎませんでした。この卒業試験の成績は免状番号と共にリオの本院に登録されて、その鑑別人の格が決定されるわけです。つまり鑑別人は免状一つでコーヒー産地到る所で鑑別の職に就けることになるわけです。