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第2章「ブラジルコーヒー採り入れ期とコロニア達の生活」

専門誌「茶と珈琲」金川正道著掲載記事

農場での勉強

 サンパウロ市から長距離バスで8時間、パラグアイ共和国に隣接する、コーヒーの新興産地パラナ州のパラナ・ハンデランテ市、ブラジルコーヒーの収穫期を目当てに渡泊した私が最初にその念願を成就させた地である。
ブラジルのコーヒー収穫時期は地域によって異なり、6月中旬~9月上旬にかけてであるが、早い所ではパラナ州のように5月中旬から収穫にとりかかる地域もある。
私はその収穫期の早いパラナ州のハンデランテ野村農場で採り入れ初期から最盛期までの2ヶ月余りを過すことが出来た。年間2万表のコーヒーを産する同農場が折柄近隣各地を襲った霜害にも影響を受けることなく順調に収穫を進めていたことは私にとってこの上ない幸運であった。
私は農場主一家の住いに寄宿し、主の牛草氏の仕事を助けながらコーヒーについての勉学の一歩を踏み出した。

 採り入れ時期のコーヒー園の作業は採取、精選、乾燥などであるが他にこの間の連絡作業である運搬など集荷作業も重要な仕事であった。野村農場の端から端まで片道、ジープを駆って1時間を要す、広大なる農場のあちこちから集荷されるコーヒーの生豆はトラクター等で精選場へ運ばれ次に乾燥場へと移動されてゆくのであるが、私がその農場で特定の仕事の分担を受持ったのはコーヒー豆の乾燥度検査の仕事であった、普通十日間位天日に乾された生豆は乾燥基準の水分12%以下に乾くのであるが、乾燥仕上げを厳しくする為にたえず生豆に含まれる水分の検査を行ない、私はコロニアと呼ばれる一般労務者には高価で買えないといわれている布靴を履いてせっせと乾燥場のコーヒーの中と検査室を往復した。
収穫の最前線はこのコロニアと呼ばれる移民や現地人労務者の家族達で構成されている。中には日本から移民も含まれていたが、これら豆落とし係一組一人の仕事量は30kg入りの麻袋で七、八袋がせいぜい。木からコーヒー豆をもぐ人、木枝や葉をふるう人、袋に詰める人、一袋もげば幾らといった能率給である。

 収穫期の彼らの一日は長い。夜明け後の五時には農園事務所前に家族がそろって集合、その日の作業予定などを知らされ近距離の作業地では六時になるとすでにコーヒーを摘みはじめる音があたりを活気づける。午前十時はトモ・カフェといって十五分間位の休憩をとり、コーヒーとパンを食べる。彼らが飲む " カフェ・コンレーテ " はコーヒーにミルクを混ぜたもので日本でいえばミルクコーヒーといったところ。一人ビールビン一本位を毎朝出勤前に用意して出掛ける。

正午は昼食だが、住いの近い家族以外はたいてい作業場でやはりコーヒーとパンの食事をとる、万事が大らかなブラジルの気風とは裏腹に収穫時の寸時を惜しむ気持からか、昼食の休みも三、四〇分で切り上げて早速彼等は農作業にいそしむ。傍で赤ん坊が泣き始めようが、転げまわって畑の土にまみれようが母親達は気せわしくコーヒー摘み採りの手を休めない。午後六時になると、コーヒー摘み採りの人達は一日の作業の整理に忙がしい。ブラジルの初冬は七時になると日没となり、仕事を終えた家族達は帰路につき、徒歩一時間位までの路は歩いて帰る、それ以上の距離になると農場のトラクターが迎えに来るが、歩いて帰る家族達は疲れた足を運びながら帰路につく。そして夕げは " フェジョアーダ " という料理を食べる。
この料理は食べなれてみると結構食欲をそそる食べ物である。「フェジョン」という小豆?粒を主体として米や、脂肪の良く乗った豚肉、野菜類を刻んで煮たもので、サントスやサンパウロなど都会地では高級料理であり、ブラジル人の好物である。ただ、高級料理である時は諸種の調味料や混ぜ込む材料の良否も問題になることは変わらないわけだ。これがまたコロニア達の好物即、夜の主食ともなっているようであった。
コロニアのこういった貧しい生活も、合理的に凌ぐことの出来る人々には明るい将来の希望が結びついてはいる。何とか成功の基を築こうと願うブラジル移民は普通、野村農場のような所では四年で自営農業を提供され一応の独立を成し遂げる人々も多い。しかしその間の余裕のない借金生活に負けたコロニア達にはそういったことはかなりの " 遠い道 " のようでもある。

 農場事務所の壁の一隅には、各コロニア個別のクレジットラインを示したグラフが几帳面に図示されている。つまり前借金の貸出し限度額表なのだが、自分の給与と限度額の幾倍かの制限をはるかにオーバーしているコロニアが多い。
一人のコロニアが事務所を訪れた。「子豚を一匹売って下さい。大きく育てて家でツブシます」すると、このグラフを見て、「君は借りが多すぎるんだから締め給え」こういう会話が絶えず繰り返されるわけである。豚の子が前借できなかったこの親父さんも別に気にもしていない。極めて明るい陽気な人々である。だから借金も心おきなく増えてゆくのかも知れない。

 無頓着なコロニア親父さんの楽しみの一つは農場内にある酒場で " ピンガ "を一杯あおることだ。
" 火酒 "と呼ばれるこのピンガは日本の焼酎より強力であり、パンチがあって、原料はとうもろこし。生のとうもろこしを圧し潰してその液汁を醗酵させ、蒸溜したものである。このピンガも各クラスの品物があり、香料などで飲み良くしたものもある。何れにしても、ピンガにはブラジル政府から「一杯以上は一度に飲まないように」というお布令がでていることから効能の程も思い知らされる。ピンガ病、という一種のアルコール中毒患者の多いためである。だからコロニアにはビンガ病に近いピンガファンが多い。サンパウロのコーヒー鑑別人養成所のゲツツキ校長から前もって注意されていた言葉を思い出す。「ジャポネ、コーヒーの味が解らなくなったらリンゴを食べ給え、しかしビンガだけは普段も絶対に飲むな、ビンガは舌の感覚をマヒさせる」と。