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第5章「ブラジルのクリスマス」

専門誌「茶と珈琲」金川正道著掲載記事

バイオテクノロジー研究

今年もまたクリスマスの夜が近づいて来た。北半球の冬は南半球の夏であるようにブラジルでのクリスマスは真夏の一夜の行事である。

 一年前のクリスマスのイヴ、それを私はブラジルのサンパウロで迎えた。コーヒー鑑別人養成学校を三科目とも見事にパスして卒業(自分で言うのも何だが、味覚、品質格付け、実務計算3タイトルを一度に取得した者は少数だった)その満足感も手伝って真夏のクリスマス、彼地の人々の正月気分になずむことなく打ち解け込んだ

 サンパウロ大学法科に学ぶジャツキンス君が私を彼の家族達とのクリスマス団欒に招待してくれた。「僕のママにも会ってくれよ」と彼はいった。私を自宅へ案内する車を街中のとある花屋の前で止めると、彼は私の腕をひいて美しい花々を指さしながら「君の好きな花を買おう」という。

 幾らクリスマスだからって男友達から男へ花束のプレゼントは意外な気がした私は「どうするんだ」と尋ね返した。「君からママにあげてくれ」という。そういいながら花束の代金を店の者に手渡していた。「じゃあ僕が払うよ」といっても断じて払わせなかった。
 再び彼の車の中での私は、ジャツキンス家の玄関へ立ってその家の主婦に手渡す花束の、その生れて初めての作法を考えることもさることながら、つい今までの数分間のこの友人の不自然でない、それとなく気を配ってくれる親切な行動を思い、その友情が私の若い血を熱く、しみ込んで来るのを忘れることが出来なかった。

 私は彼の母や父に挨拶し、彼の部屋でレコードを聴かせて貰いながら、クリスマスの仕度を告げる彼の母の声を待っていた。やがてクリスマスの飾り付けの部屋でさらに彼の祖父母、姉夫婦、兄夫婦、二人の弟さんに紹介された。ミスター・ジャツキンスを囲んでシャンペンが勢いよく抜かれ「メリークリスマス!」一同で乾杯!家族だけでの落着いたムードの中に私も加わった。

 テーブル上に並べられたクリスマスプレゼント、銘々の名前が書かれたカードの下に包みや封筒、ジャツキンス君には車の贈物という目録、姉夫婦には香水、ミスター・ジャツキンスにはポータブルラジオ、一人が開けてみる度にみんなで嬉しそうな声をあげる。マサミチとローマ字で書かれたカードのついた箱を家族に勧められて開いて見た。上等の小銭入れが出て来た。突然の来客への温かい贈り物であった。
 暫く一家の団欒のクリスマスを祝い終えると家中で本家(親類で最も重鎮の家)へお祝いに出掛ける。勿論車に分乗して。
 スコッチを飲みながらダンスやゲームに興じ、飽きたころになると「メーリー・クリスマス!サンタの大袋!」といって品物が詰まった袋が持ち込まれ「みんな手を突っ込め!」という。それぞれ手を入れては中の品を選ぶ。私の手にはネクタイの箱が取りだされたものだ。「2コントづつ出せ」と同席の連中から金を集めて宝くじを即製で楽しむなどその楽しみ方は感じさせられるものが多かった。
 クリスマスイブを挟んで23日、24日、25日の三日間はブラジル人は日本の正月と同じようにゆかいに楽しむのである。
 
 クリスマスの間も街々のバーは夜中の十二時から夜明けまで若い連中で一杯になる。家族で静かなクリスマスイブを祝った後のいわば二次会ともいえようか、バーで最高にハメを外すのである。どこへ行っても必ず生のバンド演奏がその情景にふさわしいリズムとメロディを奏でている。

 とにかく夜の遊び場もまた不自由しないほど多様にある。店に社交女性を専属においてはいないが、必要のないことには女性の遊び客もまた多いことによる。店へ酒を飲みに来て傍らのテーブルで知り合った他人同士が仲良く表へ消えてゆく様もごくありふれた情景であり、ブラジルでは女性の方が遊びの楽しみを弁えているのではないだろうか。然し、未成年の入場は厳しく取り締まられており、バーへ入るにも身分証明書なしでは酒も飲めない。警察官が入って来て未成年がいれば店の経営者共々きつい処罰をうけるからである。

 水商売の女性がいない訳ではない。それらしい女性は何処でも同じで素人とはどことなく違う。店の中で気に合った男性の客とテーブルを一つにすると、その瞬間から彼女のビジネスが始められる。相手の男が飲むウイスキー、自分に飲ませて貰う飲物の代金の何%を店から払い戻してもらう了解が公然とされているのである。バーに遊びに来ている異性との近づきは多くは店のボーイを通じて「あちらの方があなたと御一緒したいと仰ってますが」というふうに行なわれている。日本でよくいわれる「ひも」などはほとんど引きずっていないそうである。

 話しが後先になったようだが、クリスマスの祝いをジェツキンス本家で行ない、大きな屋敷をジェツキンス君と連れだって家族に見送られ外に出るとき、家族の皆さんにさよならの握手をしたが最後に片隅に立っていた彼家の召使いでインディオの一人の手をとって精一杯、感謝の気持ちを込めて「オージエ・コメツサ・ムイトボーン(今日の御馳走は本当においしかった)」と礼をのべた。するとその場の人々が一瞬妙な顔をした。私はまずいことを言ったのかなと思ったが日本人が握手をしてくれたといってその召使いは大喜び、私のまわりはぐるりとインディオの召使い達で囲まれていた、そのときジェツキンス君が無理矢理私を連れて外へ出ようとした。パーティの後、食事が済んだのが午前二時、その後バーへ行って一騒ぎしようというときの出来事だった。

 街へ向う車の中で彼は握手しなくても良かったのにとさりげなく言った。別に嫌な気はしなかったが、人種差別のないブラジルという話は神話にすぎないことなのだろうかと考えたことである。もしブラジルで黒人が又は半黒人が白人と差別されてないとすれば白人と黒人の生活ないしは文化水準が極度に開きがあって、白人と競合するほどの力に達していないためにアメリカなみの差別問題になっていないのではないかと思う。将来、このインディオ達の知的水準が高まったとき、やはり北アメリカと同じ様な問題が差別のない国際国ブラジルを表面から瓦解するのではないかと心配される。

 とまれブラジルはクリスマスを海に山に暑さを避けるレクレーションでしめくくる。25日以降はリオ、サントスとも大変な混雑で、繁華街へ遊びに出掛ける日本の正月と形こそ違え共通した処がある。年末のあわただしさは、ブラジルではコーヒーの収穫が片づいた後、クリスマス用品の大売出しでの賑わい、子供を連れて街を歩かないブラジルの親達もこの時ばかりは子供達の手をひいて衣類や靴などの他クリスマス・ナタールという日本でいえばさしづめ正月の「おもち」とも思われるいろいろの菓子などを詰めたヤシの実大のチョコレートを買う風景は親しみ深い懐かしさを秘めている。